11月26日
宿を出た。週末なので金を作らないと大変なことになる。銀行は9時に開くが、外貨交換は10時からだという銀行の不条理な商売のために、1時間潰さねばならなかった。有名な「文武楼」にでも行けば良かったのだが、昨日のYHの彼女に教えてもらった名もない裏山に登って、湖全体を眺めることにする。真っ赤なポインセチアが美しく咲いていた。くもり空ではあったが、日月タンにはしっとりと落ち着いた女性的な美しさがある。湖の向う側にいるであろう彼女のことをボーッと考えているうちに、時はあっという間に過ぎてしまった。いつも忙しい旅であるが、たまにはこんな風に感慨にふけり、のんびりと湖を眺めたり、ぼんやりと山道を散歩するのもまた良いものだ。銀行でUS$200を換え、一気に金持ちになる。10:50のバスで水里へ経つ。バスが山道を登りはじめると、湖がだんだん山陰に隠れていく。さようなら日月タン、さようなら....! いつまでも湖のほうを見つめながら、とっても後髪を引かれる思いだった。
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物思いにふけって田園風景を眺めているうちに、バスはデコボコ道を一路「水里」に着く。実際には着いたと言うより、途中下車して置いてきぼりを食らったという感じだった。水里は文明の発展が止っているかのような、そんな田舎集落だったのだ。まるでカンフー映画の突貫工事で造った撮影セットの様な街だった。恐らく4、50年前の日本の田舎街を、少しケバケバしくした感じかな。バスターミナルから「二水」へのバスに乗る。バスが動き出すとすぐ横から、「日本人ですか」と声がした。彼は台中の日本企業の工場に日本から単身赴任してきた人で、社員の台湾人5人と一緒に、そのうちの一人の実家に遊びに来たのだと言う。一緒の台湾人の人達も、以前から日系の会社で働いていたらしく、とても日本語が上手だった。彼らが途中の街で降りるまで話がはずみ、いろんな情報を頂いた。まさかこんな台湾の山奥の田舎で日本人に会うとは思ってもいなかったのだろう、お互いにとても愛着を覚えた。1時少し前に二水に着き、駅ですぐ来た列車に乗ろうとしたら、「違うよ」と教えてくれた若者達4人と一緒に「嘉義」への旅は始った。彼らは軍隊にいて、休暇を高雄の家族や恋人の元で過ごすのだと言う。退役したら日本に絶対行きたいと熱く語ってくれた。やはり台湾では日本はモテるらしい。筆談中心の会話を楽しみながら、週末で混んでいたため、みんなで席を交代で譲り合った。
さて、嘉義に着いて彼らと別れてからが、ドラマの始まり。今日の目的地は「阿里山(玉山)」だった。駅前でおばちゃん達が、「バスもうないよ、タクシー安いよ」と日本語で詰め寄ってきた。いつもの嘘だと思って、俺が「バス、バス」とか「阿里山、阿里山」とか騒いでいると、若者数人が助けてくれた。だが、彼等は英語も苦手らしく理解してくれない。すると何を思ったか俺を市場まで連行していき、年配の老人を探しだして、彼に通訳を頼んで理解してくれた。この親切には感激した。だが結局、阿里山行きのバスの切符は本当に完売していた事が分かった。週末に混むのは当たり前。なんで阿里山行きを週末にぶつけたのか悔いた。口で血のような色の噛煙草を噛んでいたヤクザ風の親爺が、300元でどうだと近づいて来たのは、もう阿里山を諦めて高雄に行こうかと考えはじめていた時だった。「行っても宿がないだろう」というと、150元で泊れる宿を知っているという。じゃあ運賃は宿が見つかってから払うという条件をつけて乗ることにした。宿を世話しなかったら金を払わないだけだ。タクシーを見ると何のことはない、相乗りだった。それも4人すでに乗っている。俺と親爺が乗ると6人。定員オーバーにしてまで儲けようとは恐れ入った。だがそれを見て200元に値切った。走り出すと、胸に刺青を入れたその親爺はぶっ飛ばすの何のって、ほんとに死ぬかと思ったよ。急カーブ連続の山道を、全身を傾けながら120キロ以上の猛スピードで激走し、カーブだろうが坂道だろうが前の車を追い越していく。何度も「今度こそダメダ!」と思ったね。しかし腕は確かだった。でもよくまだ生きてるよな、ほんと。
阿里山に着いてからこの親爺、裏切りはしなかったが、案の定150元の宿は満室だった。親爺は一生懸命掛け合っていたがダメだった。俺は昨日の粘り根性は何処へやら、後ろでその激しいやり取りを他人事のように眺めながら、「あーあ、今晩は高雄で寝ることになるのかなあ」などとボンヤリ考えていたが、また同じ車で引き返すのかと思うとぞっとした。親爺も金が欲しいから何とか俺を押込めようと頑張る。何軒めかの国民旅社で粘っている時、そんな俺達を見かねて、「My I help you?」と助けてくれたのがチャーリーさん一家だった。台北から来たというチャーリーさん一家は、優しい御主人と英語の上手い奥さん、男の子、お爺ちゃんの4人連れであり、お爺ちゃんとの同室で良ければ部屋を提供してくれるという。これが地獄に仏というのか、チャーリーさん一家の御好意は本当にありがたかった。こうしてようやく落ち着くことができた。小一時間ほど街をぶらついた後、チャーリーさん一家と夕食をご一緒する。中華料理を本場式に大勢で囲んで食べたのはこれが初めてで、非常に美味しかったし、とても楽しいひとときだった。食事が終ってもチャーリーさんの部屋で、9時過ぎまで沢山話しは尽きなかった。俺は考えさせられた。日本人と外国人、これはいわば先輩と後輩に当たるんじゃないかな。日本にいる時は日本人が先輩、外国人が後輩。逆に外国にいる時は外国人が先輩、俺達が後輩。先輩は後輩の面倒を見てくれるでしょう。だから今度俺達が先輩になる時には、後輩の面倒を見てあげよう。ああ、そうだった明日はものすごく早い。