2003年春・夏
「イギリス」って昔栄えた英語の母国という程度の知識しかなくて、
殆ど関心もなかったから歴史も地理も全然知らない遥か西の遠い国でした。
十年以上も行っていなかったそんな国に、縁あって2003年は2度も行くことになりました。
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今年のイギリスは異常だった…。と、偉そうに言ってはみても、これまで殆ど関わりのない国だったので、「正常」なイギリスがどんなものかほんとは知らないんだけどね(笑。大学3年のときに欧州旅行の起点にしてちょこっと立ち寄って以来だから、もう十数年間も全く関わりがなかったことになる。だからほんの少し前の頃を思い出してみても赤面してしまう。恥ずかしいことに(自称)探険家のはしくれでありながらも、イギリスの土地勘はほとんどゼロだった。ロンドン以外の都市がどこにあるか知らなかったし、スコットランドはイギリスの北海道だと思っていた。イギリスの歴史を問われれば、産業革命と名誉革命がやっと思い浮かぶのが関の山だった。神秘の我が庭である「アジア」に較べたら、大英帝国なんて成り金国家くらいのイメージしかなかったように思う。聞いたことのあるイギリス人といったら、全部足しても十指に満たなかっただろう。ビートルズの歌は知っていても、メンバーの名前は一人も知らなかったし、サッチャーは知ってても、次の首相が誰か知らなかった。今から思うと、大方のイギリス人が持つ日本に対する知識と大して変わりない程度に、私の中のイギリスは完全に”Far West”な地域の一部分でしかなかったのである。そんな遥かなる遠い国と、縁あって今年は深い関わりを持つことになったのだ。それで冒頭に戻るが、いったい何が異常だったかというと、まずは夏の暑さが異常だった。某学流に難しく言うと、平年の気候を前提に効用が理論的に測定できていたが、実測値との乖離が著しいものだった、とでもなるのかな(藁。「今年は避暑が期待できるなぁ」と内心喜んでいたのだが、実際は「被暑」だったのである。「イギリスは寒いんだ」と繰り返し肝に銘じて、一度も着ない上着を鞄にたくさん詰め込んでしまった。以後その重荷を抱えてしばらく大陸を歩く羽目になる。西日が入る上に窓が開かないサウナ状態の宿には陽が沈むまで戻れず、その分学生たちとパブで大いに交流できたことは、異常気象の所産だったといえなくもないが…。もうひとつの異常は、やはり戦争だろう。春の下見の渡英時は前日に旅客機の撃墜予告があった。空港に戦車をいくら配備してみても地対空ミサイルを落とせやしないとは思うのだが、ヒースローは厳戒態勢の警備だった。あの背筋の寒くなる殺気立った異様な空気は、できればもう二度と経験したくはないものである。夏には戦争もほぼ終息していたが、胆が据わっているのか知らない強みなのか、機内の乗客は至って平穏な様子だったので大いに感心してしまった。長い時間狭い飛行機に乗っていると暇だし、いろんな事を考えさせられる。なまじ怖い情報を入れるよりは、遥かな遠い国のままでいたほうが小心者の私には本当は良かったのかもしれない。いずれにしても、今年の経験で少し身近な国になって興味も湧き、いろんな意味でたくさん勉強させて戴いた。しかしながら、もし再度渡英仕るのであれば、次回はせめて正常なイギリスであって欲しいものだと心から願う次第である。 |