1st DAY




11月23日

 午後2:00頃無事着いた。ほぼ2年半ぶりの台北中正空港は、またもや、くもり空で俺を出迎えてくれた。 ここは正式には、「蒋介石国際空港」というのだそうだ。 実は、「中正」というのは、てっきり「中央」くらいの意味だと思っていたんだが、 これが、「蒋介石」のことをさすものだということを、ここで初めて知らされた。 第一、日本じゃ空港に人の名前を付けることなんて全く想像できないもんね。 でも、新潟の「田中角栄国際空港」とか、大阪の「大阪太閤国際空港」とかあったらおもろいなあ。
 空港から台北市内まではリムジンバスに乗った。少々贅沢したつもりだったが、約350円と安い。 市内に着いてからは、虹のマークの美しい市バスに乗り換える。 運チャンにYHに連れてってくれるよう頼むと、込み入った市街地をぐるぐると廻って、 約一時間ほどで着いた。ちなみにYHは、「青年活動中心」という厳かな名称である。 英語のYouth Activity Centreの中国語訳であろうか?

 YHに辿り着くのに、バスの運チャンに全ておまかせだったので、 今自分が台北のどの辺りに居るのか、全く見当がつかなかった。 地図でYHの場所を見てみると、自分の予想とはまるで正反対の方角の場所であったのには驚いてしまった。 他人任せにしたので、目隠しをしてグルグル何回転もさせられた感じかな。 まあ、今回はあまり気張らずいきましょう。
 チェックインした後,夕方になって日がさしはじめ、夕日が美しかったので、そのまま街に飛び出す。 道端にはどこまでも、いろんな商品のあふれた露店や、旨そうな匂いのする屋台が並んでいる。 上を見上げれば、想像以上に多くの立派なビル群が続いていた。 まずは街の景観の中に、台湾経済の発展のほどを実感する。 ひたすら歩き続けて、街の様子をおおまかに知る。 どこもかしこも、当然のことながら漢字だらけの世界だ。 最初は、「青年活動中心」をはじめ、漢字だけの表現にはいささか面食らって、 なんとも言えぬ違和感を感じたが、次第に眼が慣れてくる。 あれこれ読んでると、何となく意味が解るだけに、やけに面白い。 随分と創意工夫の跡が見られる英語の漢字訳には、妙に感心してしまった。 そんな中で、「これギャグとちゃうやろか」と感じた漢字表記として、「高雄牛乳大王」という店の名がある。 これは、日本の「ロッテリア」のような、まじめなファーストフードのチェーン店なのだが、 思わず「ハクション大魔王」の親戚かと思って、つい吹き出してしまった。(ところでこれ Burger King のパクリとちゃうか?)
 街の夜の賑やかさにも驚いた (注:いかがわしいゾーンのことではありませんぞ!)。 夜の10時を過ぎても、ほとんど人ごみが絶えない。 それに、市内の象徴的な大建築物の多くがが、ライトアップされていてとても美しい。 かと思うと、真っ暗なバス停に、若い女性が一人でポツンと待っていたりする。 いくら安全な日本でも、あまり考えられない光景だ。台湾の夜は、何と平和で長いんだろう!
 YHに戻ると、4人の男達と相部屋だった。 4人のうちの3人は韓国人、あとの1人はフィリピン人で、4人はいずれも、 台湾に中国語を学びにやって来ている「語学研修生」だそうだ。 すぐに打ち解けたが、そこからが、息の長い変なコミュニケーションの始まりだった。 俺達は、フィリピン人の男を介してしか、お互いの意志疎通ができなかった。 韓国人の3人は英語をほとんど解さない。それで3人はまず、韓国語で俺に何を尋ねようか相談する。 そして、そのうちの一人が、拙い中国語でフィリピン人に喋る。 フィリピン人は、その中国語で行われた質問を英語に変換して俺に伝える 最後に俺は、その英語を頭の中で日本語に訳して理解するという具合だ。 そして今度は、俺の答えが逆の経路で伝達される。 ようやく韓国人達が理解してニコっとすると、それで一つの問答が終了だ。 まるで伝言ゲームのような、こんな息の長い国際的なコミュニケーションを楽しみながら、 しだいに台湾第一日目の夜はふけていった。


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国際理解の旅1