ZAGREB


ザグレブクロアチア共和国の首都。人口120万人(2000年)。中部・南東ヨーロッパとアドリア海岸とを結ぶ交通の要所。旧ユーゴスラビアの近代工業の中心地。クロアチア人は7世紀中頃からサバ川上流域周辺に定住、925年にトミスラブが「クロアチア王」を宣言し、初の統一国家を形成、以後約200年にわたって続いた。しかし、1102年ハンガリーがクロアチアを完全に征服し、クロアチア王国は崩壊。以後1527年までハンガリーの支配下に置かれた。その後一時期オスマン帝国の統治を受けるが、1918年までハプスブルク帝国の領土に入った。1809年から4年間、ナポレオンがこの地方を「イリリア諸州」として統治。1867年、オーストリアとハンガリー間のアウスグライヒ(和協)を補足する形で、ハンガリーとクロアチア間に「ナゴドバ(協定)」が締結される。これにより、形式的にはハンガリーとの平等が認められるが、実質的にはハンガリーの優越権が確立した。クロアチア人の不満は高まり、クロアチアの完全な自治を求める動き、あるいはセルビアをも含めたユーゴスラビア統一主義の動きがみられた。そして第一次世界大戦後の1918年にはセルビア人、クロアチア人、スロベニア人の統一を目ざした国民評議会がザグレブに設立され、単一国家結成の決議がなされた。194145年のクロアチア独立国樹立の際にはその首都となった。その後旧ユーゴスラビアに属していたが、91年クロアチアは独立した。〔小学館『スーパー・ニッポニカ』より抜粋、一部修正〕


ザグレブ空港到着

ザグレブ中央駅

トミスラフ広場

駅前の街並み

クロアチア国旗の掲揚

共和国広場


トラムのターミナル


日曜日の午後、閑散とした広場

聖ステファン大聖堂

大聖堂の内部


路地から大聖堂を望む

レストランが並ぶ裏通り

石の門

内部の礼拝堂

聖マルコ教会

マルコ広場の丘へのケーブルカー

丘からの眺め(1)

壁面全体が広告のビル

丘からの眺め(2)

大聖堂を眺める

ラディッツェバ通り

再び共和国広場へ

トミスラフ広場からみた中央駅

列車でリュブリャナへ

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