BUDAPEST

ブダペスト:ハンガリー共和国の首都。ドナウ川が市内を貫流しており、その美しさから「ドナウの真珠」あるいは「ドナウの薔薇」と呼ばれる。人口約200万の中部ヨーロッパ最大の都市で、ハンガリーの政治、文化、産業、交通の中心地。ブダペストの歴史は、89年頃ローマ帝国が、もともとケルト族が定住していた現在のオーブダ地区の近くに建設した都市アクインクム(Aquincum)に始まり、アクインクムは106年から4世紀の終わりまで、ローマ帝国のパンノニア州の州都であった。 900年に今日のハンガリーの主要民族であるマジャール人がやって来てパンノニアと都市を占領し、1世紀後にハンガリー王国を形成した。ブダペストは東西南北に通ずる要衝であったため、その後、数世紀間にわたりモンゴル帝国オスマントルコ帝国ハプスブルク帝国等によって侵略と支配を受け、数回にわたり破壊と復旧を繰り返した。これら外国の支配者たちは同時に、この都市にオスマントルコの料理やオーストリア・ハンガリー帝国のバロック建築物などに至るまで様々な文化的シンボルや痕跡を残していった。現在のブダペストは一つの行政単位として統合されているが、ドナウ川右岸側のブダ地区と左岸側のペスト地区は長い間互いに独立した双子都市として発展してきた。ブダは歴史が古く、ローマ帝国の領有時代に砦が築かれた。これに対してペストはドナウ川の氾濫原となっていた低平地で開発が遅れたが、ブダが山がちで土地に余裕がなかったのと、この地が交通の要所であったため商業の町として急激に発展した。1873年、両市は合併に調印し、ブダペストと称するようになった。ブダ側には、ハンガリー王朝の王宮や戴冠式が行われたマーチャーシュ教会など歴史的建造物が多くみられる。一方ペスト側には国会議事堂、科学アカデミー、国立博物館、国立オペラ劇場、ペストコンサートホールなど現代の政治、科学、文化、芸術の中枢機関が集中している。〔小学館『スーパー・ニッポニカ』より抜粋、一部加筆修正〕




ブダペスト南駅に到着


ブダ側の丘の上に聳え立つ王宮

235mのゲッレールトの丘

ブダペストのシンボル「鎖橋」

鎖橋を歩いて渡る

ブダとペストを最初に結んだ橋

雄大なドナウ川

国会議事堂(一部工事中)

マチャーシュ教会

王宮の入口

王宮

対岸のペストの眺め

ケーブルカーで丘を降りる

ゲッレールト温泉

ゲッレールト温泉内部

ゲッレールトの丘からの夕景

ライトアップされた王宮と鎖橋

丘の上に立つ巨大な女神像

ドナウ川両岸の夜景

夕刻ドナウ川沿いに散歩する

ライトアップされた王宮と鎖橋2

ライトアップされた鎖橋の近景

対岸の国会議事堂

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