BRATISLABA
スロバキア共和国の首都。人口約45万(1996)。同国の西端部に位置し、オーストリア、ハンガリーと国境を接している。小カルパティア山脈の麓、ドナウ河畔に広がる。同国最大の企業である石油精製コンビナートの「スロブナフト」、ドイツの自動車メーカー「フォルクスワーゲン」の工場がある。ドナウ川を見下ろすブラチスラバ城、ゴシック様式の聖マルティン大聖堂や旧市庁舎、ロココ様式のミルバフ宮殿、古典様式の大司教宮殿などの歴史的建造物がこぢんまりした旧市街に集中している。起源は1世紀から4世紀のローマ人による支配を経て、5〜6世紀に西スラブ人が移住してきたことに遡るとされる。9世紀に西スラブ人の国家大モラビア国がこの地を治めるが、10世紀以降ハンガリー王国の支配下に入る。このために同地域に住んでいた西スラブ人は、スロバキア人として固有の民族性を形成した。1291年に市の認定を受け、1405年に王立自由都市となる。モハーチの戦い(1526)でハンガリーがオスマン軍に破れた後、1526年以降スロバキア地域を含むハンガリー王国の領土は、ハプスブルク帝国の支配下に置かれた。1536年から1784年までハンガリー王国の首都となり、1536年から1830年までは国王の戴冠式が聖マルティン大聖堂で執り行われた。20世紀初頭に市の人口に占めるスロバキア系住民の比率は20%程度であったが、1918年のチェコスロバキア共和国成立以降、スロバキア化が急速に進んだ(1995年のスロバキア人比率、91.5%)。チェコと分離、独立していた時期の1939〜45年と、チェコスロバキアの連邦制発足によってスロバキア社会主義共和国が成立した69年以後、その首都となった。さらに93年、連邦解体に伴い独立したスロバキア共和国の首都となった。〔小学館『スーパー・ニッポニカ』より抜粋、一部加筆修正〕 |
ブタペストからドナウ川を船で上ってブラチスラバに到着 |
小高い丘の上に建つプラチスラバ城 17世紀にオスマン・トルコの侵入に備えて 4つの塔が付け加えられ現在の姿となった。 |
内部は四面を壁に囲まれた中庭になっており、 歴史博物館や楽器・音楽博物館もある |
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素晴らしいドナウ川の流れには 展望台(閉鎖中)がある橋が架かる |
城から眺めたプラチスラバの街並み | |
旧市街から見る城 | 旧市街への北の入り口に当たるミハエル門 |
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旧市街中心部の広場 |
ショッピングセンターとキエフホテル |
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夜の市内 |
早朝の市内 |
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市内には主要な交通機関として トラムが発達している |
ブラチスラバ中央駅 |