青 と 白




中尊寺金色堂を守る覆堂


ホテルの部屋から見た朝のJR一ノ関駅
今日の一番列車


一ノ関から平泉へ
東京から転属されてきたと思われる
京浜東北線の209系車両


デビュー当時は「新世代の電車」と
えらく持て囃されていたが
10年ちょっとで京浜東北線からは引退
ものの10分とかからずに平泉へ到着
平泉駅前


向かって右手が中尊寺方面
旧街道のような道を進んでいく
中尊寺への途中の伽羅之御所(きゃらのごしょ)跡


住宅地のど真中に目立たなく何気に存在している
そのすぐ傍に「無量光院」跡がある


これは奥州藤原氏三代の栄華の象徴であった


無量光院には宇治の平等院をモデルとした
絢爛豪華な美しい鳳凰堂が建立されてて
この世の極楽浄土が出現していたのだ




明日は宇治にでも行ってみっぺか…
春秋彼岸の夕陽はトンデモナイ美しさだったそうである

鳳凰堂の頭上に夕陽が沈む光景をしばし夢想
さらに街道(らしき道)をすすむ
少し先を右に祈れて高館義経堂への階段を上る



朝一番だったので主の好意で無料で入れて貰えた
この丘の上で源義経が自害したとされる
義経の供養塔


義経堂は義経を偲んで
江戸時代に伊達氏が建立している
ここで一句詠んだ松尾芭蕉の句碑


夏草や 兵どもが 夢の跡 
芭蕉に倣い「兵どもの夢」をしばし想像してわしも一句

冬雪や 兵どもが 旅の恥


儒学者頼三樹三郎の詩碑
卯の花清水


松尾芭蕉と共にここを訪れた曽良が
義経の忠臣が白髪を振り乱して
戦ったことを白い卯の花に例えて

卯の花に 兼房みゆる 白毛かな

と名句を読んだ
武蔵坊弁慶の墓
中尊寺の入り口


石柱には「関山中尊寺」とある
中尊寺の表参道である月見坂には
樹齢300年以上の太い杉並木が続く
途中にある関所のような門
休憩の東屋から下界を一望
弁慶堂
薬師堂
中尊寺本堂
不動堂
峯薬師堂 大日堂
三が日早朝なので静かで非常に良い 鐘楼
阿弥陀堂 金色堂
讃衡蔵(さんこうぞう)に券売所がある いよいよ金色堂へ
金色堂入り口 金色堂はRC造の覆堂の中にある
堂内は撮影禁止なので
パンフレットにあった
金色堂の内部を
載せておく→


金色堂の全景はこちら
再び芭蕉の句碑


五月雨の 降り残してや 光堂
経堂
かつて金色堂に被せていた旧覆堂(現在は現役を引退)
奥の細道300年記念で建立された
松尾芭蕉の銅像


旧覆堂の内部
新(左)旧(右)の覆堂の比較
釈迦堂
白山神社
能楽殿
弁財天堂

中尊寺を降りてから1kmほど南へ歩く
観自在王院庭園

毛越寺(「もうつうじ」と読む)
本堂


ほかには巨大な池があるだけで
あとは敷地に殆ど何にもない
この寺にはかつて優美な伽藍様式の堂や塔が
豪勢に所狭しと建ち並んでいたそうであるが
現在はどれも焼失してしまっているのだ
なので、ここも目を閉じて想像力をフルに発揮しながら楽しむ場所なのだろう
開山堂
↑↓ かつての伽藍建築が建っていた場所には基壇と礎石などが残っている ↑↓
こういう一段高くなった伽藍の基壇があちこちに見られた
常行堂
大泉が池
出島石組と池中立石



なんか入場料500円はちょと高かった気がするのぉ…
毛越寺から歩いて平泉駅へ戻る
平泉から一ノ関へ戻ってホテルで荷物を回収
再び南下を開始

怒涛のごとく電車を乗り継いでいく


一ノ関 13:54 発
 仙 台 15:37 着
仙台 16:03 発
福島 17:16 発


この日は1月3日で翌日から仕事始めなため
東京までどの列車も通勤ラッシュ並みに
ひたすらずうっと混んでいた
福島 17:16 発
黒磯 19:17 着


一応立ちんぼも覚悟してはいたが
どうにか要領よく乗り継ぎをこなしていき
全列車で席が確保できたのは非常にラッキー
黒磯 19:31 発
宇都宮 20:21 着


当然毎回列車が終点に着く前に
接続列車の案内と降り口を聞き逃さず
着いたら重い荷物を抱え次の列車目がけて
ホームをダッシュして階段を駆け上がるのである
宇都宮 20:38 発
 上 野 22:08 着


さすがに首都圏の15両編成の列車には
余裕で座ることができた
上野から山手で東京へ
「ムーンライトながら」にはいつも使われている
←この特急車両(シートが良い)だと思いきや
回送されてしまってガックリ…
今日の車両は往年のランナー
国鉄時代の183系だった

ちなみに全席指定


東京 23:10 発

青 と 白

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