青春18デビュー

- 若気の至りの珍体験 -

〔『ガイアの夜明け』風なナレーション〕
とある山中の無人駅。周辺に民家もなく、普段ならひとっこひとりいない筈のこの駅に、独特の風情を醸す老若男女が大勢列車を待っていた。彼らは軽装にリュック姿、そして殆どがカメラを持っている。 そんな駅に、たった一両のローカル列車が入ってきた。列車が到着すると同じような雰囲気の人達が下りてくる。前後して待っていた集団は列車の中に消えていった。ここは山の中のローカル線が交わる駅なのだ。 彼らの多く、というより殆ど全員が手にしているのが『青春18きっぷ』。夏・冬・春の年3回、12300円で全国どこでもJRの普通列車が乗り放題になる特殊切符なのだ。恐らくこれがなければ、彼らの大半がその駅に足を踏み入れることは絶対になかっただろう。私事ながら、この切符と初めて出合ったのは今から二十数年前、ちょうど18歳の時。夏休みに親に内緒で札幌から東京まで行くという無謀な計画を企てたのだ。しかし…カネがない。図書館で分厚い時刻表をパラパラめくっていた時、ふと見つけた得体の知れない切符、正に18歳の自分のために用意してくれたかの様な魔法の切符がそれだったのだ。(実際には18歳以外でも使用可能)


--- 二十数年前の夏にタイムスリップ ---

 改築前の札幌駅、期待と不安で緊張した十八才がいる。いよいよ初めての一人旅が始まるのだ。列車は出発、すぐさま小樽へ。日本海のどす黒さが不気味だった。小樽に着くと、「あれ?、拓銀のカードがない!」。慌てて降りて駅前の拓銀支店に駆け込み、口座の閉鎖措置をしてもらう。この時点でもう旅を止めようかと思った。散々迷った挙句、次の函館行き快速列車に思い切って飛び乗る。車内では、道内旅行中に全荷物を失くしてしまったもっと悲惨な内地の大学生と相席に。気の毒なので、買い込んでいた豆パンを彼にあげた。函館からは、まだ健在だった青函連絡船。深夜に出港、青森へ明方に到着。青森では一瞬だけ特急に乗らないと、接続が悪くてその日の内に東京へは着けない。ただし青春切符で特急に乗る場合は、特急券のほか乗車券も必要、つまり全く使えないのだ。大勢の旅行者に混ざり通路に密かに乗車。短い区間だが、車掌が来たらヤバイなぁと思っていたら、ほんとに来てしまった。観念して財布を取り出したら、混雑が幸いしたのか、適当に検札して行ってしまった…。内心冷や冷やで次の駅に降りる。そこは打って変って静まり返った早朝の駅。東北の長閑なローカル線を列車はのんびりと走った。盛岡で小休止した後で仙台へ向かう。やはり内地の電車は普通列車でも速いなぁ!と驚く。杜の都仙台では行き掛けの駄賃とばかり東北大学へ。今では考えられないが、仙台駅から青葉山の上にあるキャンパスまで遥々と歩いて行って、学食で安い昼食を取った。仙台から乗った電車はもっと速かった。内地は流石だ!と感心していたら車掌が来て「これは急行だから青春切符では乗れないから次の小山で降りてくれ」と言われて大ショック。仙台で余分に時間を浪費したせいで、ここで降りてしまったら友人との約束時間に間に合わない…。仕方がないので、トイレに籠城して粘った。何度もノックされた挙句、ついに緊張の限界が来て降りたらそこは大宮。見た事のある青い電車(京浜東北線)で赤羽へ。頭の中の地図を頼りに乗り換えて、池袋から山手線で渋谷にようやく到着。迷宮の様な駅ビルの中をぐるぐると回って、やっとハチ公前に辿り着き、大声で友人の名前を叫んだ。奇跡的に会えた時は、殆ど泣きそうなくらい嬉しかったね。今にして思えば、携帯電話なんて無かったから必死だったんだろう。待ち合わせ場所がなぜ渋谷だったのか判らないが、その後知人に連れられ井の頭線から小田急線に乗り換えて、百合ヶ丘にある彼が暮す新聞店の下宿に無事落ち着いたのであった。

 さて翌朝、この旅は某台予備校の某大模試を受けるという大義名分があったので、お茶の水へ行く。その途中の通勤ラッシュで超満員の小田急電車の中、ちょっとしたアクシデントに見舞われた。模試の事よりもその後の東京観光の事で頭がいっぱいだったのだが、満員の圧し合いとは明らかに異なる違和感を背中とお尻に感じた。振り向くと髪の長い女性。気持ち悪いので次の駅で場所を移動した。なのにまた同じ人が背後に…。今度は執拗に触られる。超満員で全然動けず、電車は通勤急行なのでなかなか次の駅に停まってくれない。正直怖かった。小学生の時にバスの中でJKに弄られた黒体験を思い出す。ようやく新宿で解放されるが、頭はパニック寸前だった。そんなんで受けた模試は当然ながら上の空。こんな雲の上にいる様な状態のまま、慣れない内地の蒸し暑さの中を東京の街をふらふらと歩きまわることに。何もかも初めての体験ばかりだった。そして俺は、ありえない幻覚を見てしまったのだ。。負け惜しみを承知の上で敢えて換言すると、「暑さに負けた」のだ。それはそれは普通では考えられない事なのだが、道行く人が大勢走っているのを見て(皆怯えながら何かから逃げているように見えた)、何人かが「ミサイル」だとか「戦争」だとかを口々に言ってるのを聞いて、「核戦争が始まって東京に核が落ちた」と何と勝手に思いこんでしまったのだ(今思い返すと靖国神社の近くだった)。一旦思いこむと、目にするものを何でも都合よく解釈してしまう。巨大な後楽園球場(東京ドームができる前の球場)の剥き出しのスタンドを見て「爆風で吹き飛ばされたんだ」とか、タクシーに乗ろうとしたら中から冷気が漂ってきて(北海道では車に冷房がなかった)、「この人はもう死んでるんだ」とか、勝手に思ってどんどんと確信を深めていった。どうせ放射能で死ぬのなら東大でと思い、お茶の水を北上して本郷へ。結局(多分帰ろうとしたから?)キャンパス裏の上野公園でうろうろしている所を警察に保護された。交番では訳の分らんことを口走る少年から実家の電話番号を聞き出して連絡。息子がまさか東京にいるなんて知らない親はさぞ驚愕したことだろう。 父の声を聞いて、ハッと我に返った。と同時に核が落ちてないと分かってどっと安心した。父は迎えに行かないといけないかなと一瞬思ったそうだが、「もう大丈夫だ。」の息子の応えを信用してくれた。その晩はホームレス達と一緒に公園のベンチで一夜を明かす。朝一番で百合ヶ丘の友人宅に戻ったら、友人も新聞店の人も皆寝ないで心配してくれていた。本当に申し訳ない事をしてしまったと思う。ただ正直、その後にどうやって札幌へ帰ったのか、不思議と全く記憶にはない。再び青春18きっぷを使って延々と戻ったことだけは確かな筈なのだが。。。


--- (21世紀の現在に再び戻る) ---

 今、大阪へ向かう新幹線の中で昔を思い出して恥ずかしさのあまり、幾分赤面しがちになりながらこれを書いている。思えばいろんなことがあったけど、今となっては懐かしい青春18きっぷデビューの旅だった。
                             2012年7月